歯科医になろうと目指したのは高校3年になってからです。紀伊国屋の赤本のコーナーで一番上の左端にあった為、最初に取ったのがきっかけです。特に何かになりたいとか夢があったわけではなく、ただどこかの大学に入ってから将来を考えるといった漠然としたものでした。こう書くと計画性がないように思えるのですが、今、振り返って思うとその場でできることをきちんとこなし、結果としていい方向に向かえたのだなと思っています。
受験勉強はこれといったことをしたわけでもないのですが、無事合格できました。そのときの気持ちとしては、物凄くうれしかったというかんじではなかったです。しかし、実家が東京だったので、北海道へ行くということにもの凄く期待感がありました。広い大地に白銀の世界っていうものに憧れがあったのかもしれません。
大学へ行ってからは想像以上の寒さと、すごい田舎さでのために、2日でホームシックにかかってしまいました。入学式前に本気で帰ろうかと思ったくらいです。それなりに覚悟はしていたのですが、ビックリでしたね。
なんとかホームシックを乗り越えて、コミュニケーションを図るため、大学ではバスケット部に入りました。私が入部した時は部員が少なく歯学部の大会では5人しかいない時もありました。試合するのもギリギリですね。
大学での勉強は出来はいいほうではないので皆が1ヶ月ですむものを3ヶ月をかけないと全て網羅できない感じでした。コツコツといった感じです。ウサギとカメのお話なら、確実に私はカメタイプです。しんしんと冷たい雪が降る中、どちらも部屋にこもりっきりで勉強していました。そうやって、コツコツと勉強した効果がでたのか、国家試験は簡単でした。ひょっとしたら、大学の卒業試験の方が難しかったなあと思います。
大学を卒業して、最初に勤務した北海道のワタナベ歯科診療所というところです。とても厳しい先生で、約1年間担当患者をもらえず、日々立って見学やアシストの日が多く、毎日怒られ・毎日レポ−トを書いていました。
人に厳しいぶん、自分にも厳しい先生でしたが、患者にも厳しい先生でした(怒るとか、そういうことではなくて、しっかりと指導するという意味ですよ)。日々勤務していく中で、いつかは渡辺先生のようになりたいと思いながら勤務していました。
負けず嫌いの性格のため、何か勝てるものはないかと思い日々勤務していく中で出た答えが、患者様への優しさと・心配りでした。話をよく聞き、解りやすい言葉で、笑顔で対応を徹底しました。次第に紹介してくださる患者様が増え、渡辺先生と一緒に見ていた患者様からも指名を頂くようになった時は、とても嬉しく自分の中でもの凄い自信になりましたし技術と同じくらい人間性の重要性というものも学びました。
当時を思い出すと、新しいことを行うことに対しては、全てつまづいてきた様な気がします。しかし自信過剰かもしれませんが、出来るスピードは人それぞれだと思いますが、やってできないことはないと思っています。
私の座右の銘として、「継続は力なり」と「石の上にも3年」というものがあります。それは今までの勤務医時代に培ったもので、毎日が勉強会だったと思います。技術というよりは医師として、人としてを多く学んだ気がします。講習会やセミナーは結構行きましたが、全ては今までの先生方の教えで今日があると思っています。そうして、修業時代が終わり、関東に戻り、ここ相模原で歯科医院を開業しました。
これまでを振り返ると、「ありがとうございました」という患者様からの言葉はとても助けになってきた気がします。歯科医院に来院する患者様のほとんどが不安や恐怖心を抱いてるため、自分の1つの指標として、初診で来院して頂いた患者様にたいしては、なるべく話をお聞きして、説明をしていく中で少しでも笑顔を出してもらえる様に努力しています。
今も、治療途中と終了時に先生の所であれば通いたい・通えそうなど、日々嬉しい言葉は頂いています。本当にありがたいことです。拙い自己紹介文ですが、これをお読みなっているあなたとお会いする日を楽しみにしております。ご自分のお口を大切に思い、笑顔で豊かな人生を送っていきたいと思いはじめたら、お気軽に当院までお越しくださいね。 |